ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
2009年07月01日 00:14 [アニメ] [映画]
映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観た。
実を言うと、俺は今まで「エヴァ」をほとんどまともに観たことがない。TVシリーズはもちろん、前作の「序」を含む劇場版も観たことがない。
というわけで、このエントリは「アメトーク」の「エヴァンゲリオン芸人」で得た知識しか持ち合わせていない人間が観た感想として、広い心で読んで頂けると助かるよ。
尚、肝心な部分に関する記述は避けるものの、若干ネタバレあるため未見の方はご注意ください。
とりあえず、俺みたいにほとんど予備知識ナシでも問題なかった。緻密に描き込まれた美しい背景、迫力ある戦闘シーンは劇場の大画面で鑑賞するに相応しいクオリティで楽しめた。
しかし、違和感がなかったわけではない。
冒頭にてメガネっ子登場、さっそく使徒との戦闘シーンになるが、彼女は戦いながら自分が今何をやってるかを逐一丁寧に解説してくれる。本作に限らずロボットアニメ全般に言えることだが、戦闘中にやたらしゃべりまくるのは何故だろう?
第九使徒戦にて、ダミープラグへの切り替えを指示するゲンドウ。しかし、ゲンドウ以外の全員がダミープラグに拒否反応を示す理由がよくわからない。
さらに、ダミープラグに接続されたエヴァが凶暴化する理由もよくわからない。何故なら、人間は残虐になれるが、機械には無理だから。
もし機械が残虐に振る舞うとすれば、それはその機械(ダミープラグ)を設計した人間(エンジニア)が元凶なのだ。
また、上記シーンのBGM 「今日の日はさようなら」やラストの「翼をください」は、ミスマッチを狙った選曲だというのはわかるのだけど、俺はどうしても引いてしまって無理だった。
使徒が倒された後に出現する十字架や、ラストにてエヴァの頭上に現れる天使の輪など、宗教的モチーフが随所に多用されている。世界には様々な宗教宗派が存在するが、それらの信仰熱心な人々があれを観たら一体どう感じるのだろう?
宗教に関して無頓着で和洋折衷に長けた日本人の特性は世界に誇れる美徳かと思うが、だからこそアニメやマンガに宗教的要素を安易に用い過ぎている気がする。
続編「Q」を観るかどうかは、現時点では自分でもわからん。
